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お札シリーズ
この人、前の5千円札の「新渡戸稲造」さんですね。
一番有名なのが、この人の書いた本「武士道」なんですが、この「武士道」についてちょこっと触れてみようかと。
私がこの「武士道」について興味を持ったのは、日本人特有の美徳や考え方ってどこから来たんだろう?という疑問からでした。
まずは、解り易く武士道を説明している動画を
(めんどくさがりの人は1:35秒あたりから見てね)
ここから私のつたない記憶(知識)を元にザックリ書いていきますね。
新渡戸が書いた「武士道~BUSHIDO~」は1900年に元々、海外に向けて「日本人の思考ってこういう事なんですよ」と、当時の誤解を抱いていた(特に切腹とかに)外国人に向けて書いた本なのです。
外国人からしたら、宗教教育してない日本人が道徳を守れてるのが不思議でしかたなかったみたいです
世界何十カ国で翻訳されたベストセラー本でもあります。
そんな世界で有名な本なんだから、日本人だったら少しは知っておいた方が良いのでしょうか?
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はじめに書かれているのには、「武士道というのは、何かに書かれた物ではなく、口伝えや格言などを元に自らが自然に身につけたものである」みたいな感じの事が書かれている。
だから武士が居た時代には「武士道」という言葉すら無かったはずなんですが、(本の「武士道は」新渡戸が明治時代に書いたからね。)当時の武士は何も言われなくてもその道を皆が守った、というか自然と出来あがったルールの様な物になったみたいです。
戦って戦って、斬って斬って、多くの血を流し、戦国時代が終わり、幕府が出来て大平の世(平和な時代)になって学んだ美学だとも言える。
やがてそれは「大和魂」と呼ばれた物にも受け継がれ、いろんな伝聞や文学を通して広く一般の人達にも浸透していった。
それが(今はだいぶ薄れてしまったが)今なお日本人のアイデンティティーとして息づいている。
ざっくりこんな感じでしょうか?
「武士道」についてはだいぶ前に触れようと思っていたのですが、近年勘違いしてる右寄りの人が増えてきたので、コレをきっかけに間違った方向へ行かれないかと心配して控えてました。
では何故このタイミングで書こうと思ったのかと言うと、真央ちゃんのフリースタイルをみて「まさにサムライだ」と感銘したからであります。
どういうことや?って人に説明すると話が長くなるのですが、あれは2008年頃でした。
たまたま見ていたフィギュアの世界選手権で浅田選手とかの選手の採点をみて「えっ!?なんで?」と違和感を感じ、その後気になってネットで見てみるとどうやら2007年頃からルールがどんどん変更されていて、ジャンプなどの技術を得意とする選手より、新たに出来たGOE(出来栄え点)という物がプラス3点まで加点(たしかそれまではミスを減点していく競技だったはず)される様になった。
それはつまり、難易度の低い技をピシッと決めた方が有利で(素人はこれに騙されるみたいね)、加えて出来栄え点というあいまいな物をプラス出来るので審査員によって採点が変わる。
んで、どこの国の審査員が採点したのか非公開になったりと、どーも胡散臭い話がどんどん出てきた。
そして2010年のバンクーバー、優勝者の考えられないくらいの(宇宙レベル)の高得点。
(国策でやってるみたいなので選手はそこまで責めれないかな)
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※写真注釈 回転不足に加点、完璧な回転に減点している
その後、「バンキシャ」という報道番組が疑惑の国の審査員の採点をカメラに捕らえた。
そこには、自国の選手がジャンプした瞬間プラスの点をバンバン入れて、浅田選手がジャンプした瞬間マイナスの点を入れてるのがはっきりと写っていた。(その当時は動画で見れた)
コーチの国、他の審査員もグルではないか?などいろいろ言われていた。
その当時私は愕然とした。ぶっちゃけ文句もいってた。
オリンピックが終わった今(ん?もう終わってるのか?)こんな話を書くのは非常にナンセンスなのですが、ココからが本当の言いたい所。
今回の浅田選手のプログラムは過去にも現在にも誰も出来ない技術を必要とする物でした。
先ほど言ったとおり、今のルールではミスの無い演技をピシッとやった方が絶対有利。
(これは私の推測)だが、同レベルの演技をピシッと決めても色々と審判がアレなので勝てない。
勝つためには誰がどう見ても圧倒的にナンバー1の演技をすればいい。それしかないし、自分にはそれが出来る。
という思いで望んだのだと思う。
そしてショートでのあの順位・・・・本当に悔しかったと思う。
亡くなったお母さんの事も考えただろう。
で、あのフリープログラム
これですよ、これ!
恥ずかしながら私、号泣ですよ号泣。
ずっと見てきたっちゅうほどでもありませんが、なんか勝手に気持ちが解った気がしてもうアレですよ。
採点がオカシイとか、ルールがオカシイとか言わずに(言ってた自分が恥ずかしいわ)圧倒的パフォーマンスを見せ付けた。
文句とか言ってるの見たこと無いというか、そういう事を微塵も感じさせない品格。
素晴らしいの一言に尽きますね。
そして、世界各国や、隣国からも賞賛の嵐。
勝手ながら、私は世界平和の一つの道しるべを垣間見た様な気がしました。
日本人選手が不屈の精神を見せた時などに、外国人の実況が「SAMURAI~!」と叫ぶのは、いまだに新渡戸の「武士道」をベースとした日本人のイメージがまだ残っているのです。(この人がお札になった理由が解りましたか?)
世界に向けて首相が大嘘とかついてちゃダメなんですよ。って思う。
(政治的な面とかでも)日本人らしい行動を行った方が世界は味方になってくれるし、プラスになると思うのは私だけでしょうか?
※追記「オリンピックは○○の祭典です」
はい!○にはなんて字が入りますか~?
「スポーツ!」
じゃないですよ~
「平和」なんですね。
戦争を起こしてる国同士でも、一旦休戦してみんな忘れてスポーツでやりましょ~。そのまま戦争終わればいいですねっ。
って感じの意味だったと記憶しております。。
カテゴリー: kawamura-no-koramu カワムラ・ノ・コラム
矛盾 覚悟 偏執狂 美しいもの
「風立ちぬ」を見てきました
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タイトルにある矛盾。これについて以前の聖徳太子の記事でチラッと書いただけなので、覚えている人はほとんど居ないと思うのでもう一度書くと、「他人からは矛盾に見えても、人はだれもが自分の中の正論という考えの中で生きている」という事を書きました。
※「出る杭は打たれる」というエントリーに反響がありましたが、”この和をもって貴しとなす”の真意というのは同じ様な事が書かれているので、是非、理解するまで読み返して頂きたい記事なのです。そして、なぜこの記事が「古き日本を愛でる会」のカテゴリーの一番初めに持ってきたのかまで考えて貰えると幸いです。
他人にはどうしても理解出来ない事が、本人の中では色々な事がリンクしているという事もあるのです。
そんな中、現在公開中の「風立ちぬ」が非常に気になっていたので、10何年ぶりに一人でレイトショーに行って来ました。
今回はコラムではなく、ほぼ映画鑑賞の感想になります。「風立ちぬ」を既に見た人や、興味がある人に見てもらえればそれでいいです。
まず初めにこの映画は様々な事がリンクしていて、ちゃんと説明するにはセリフの一語一句、シーンの描写など事細かに関連しているので真面目に書いたら途方もない量になるので端折ります。
後はまぁ、何を言おうが結局は「映画が全てを語っている」というのを理解してるのを前提に書きます。ただの感想ですから。
どんな人に向いてるのかというと、映画マニア、軍物オタク、小説好きとかもいいですが、何か異常なまでに物事を(苦しみながら)突き詰めてる人がより共感できるのではないかと思わせる内容でした。
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※写真は堀越二郎の理想の飛行機を形にした九試単座戦闘機。
堀越と言えば零戦だが零戦は軍の無茶な要望に答えるべく作ったので九試単戦を愛したのじゃないかな?と思う。
主人公の堀越二郎がひたすら美しい飛行機を追い求める様(さま)に、宮崎駿が映像作品に求める姿がリンクし、結果として戦争の道具になる飛行機を作る次郎の矛盾と、反戦反核を訴えながらも戦闘機の美しさを愛してしまう宮崎駿の矛盾。(戦時中、父親が飛行機の部品を作る工場をしていて、貧しい時代に軍需産業で設けたお金で温々と育った事もリンクしてる)
矛盾を表すあるシーン。
世の中が不景気のどん底の時代、二郎が貧しい路上で親の帰りを待つ子供にシベリア(お菓子)を与えようとするが断られる。
その話を同僚の本庄にしたところ、「俺たちがやってる飛行機の開発に消える金で、日本中の子供たちに天丼とシベリアを毎日食わせてもまだお釣りがくるんだ」「それでも俺はチャンスを無駄にしない」というシーンが二郎の矛盾を描写している。
小説「風立ちぬ」の堀辰雄のフィアンセが結核(当時は不治の病とも言われた)になるが共に生きる事の覚悟と、映画の劇中様々な事が起こるが、その度にやはり飛行機作りを続けていく覚悟などがリンクしている。
更に言うと、そんな病気の相方をも自身の作品(小説)にしていく堀辰雄の偏執狂(へんしゅうきょう)ぶり、関東大震災が起こってる最中にも白昼夢を見て飛行機の事を考えている二郎の偏執狂ぶり。
本人と一部の人間にしか解らない世界観。優れていると賛美される者(物)の影にある非難の声。
矛盾やオカシイと言われる物事を、己の中にある正義を信じ生きていく。
矛盾という物を紐といて理解し考えようとしても、結局、矛盾というものは矛盾である。格好良く生きようとしても格好悪い部分がある、美しいと言われるものは時として醜い部分を内に含んでいる。
それこそがリアリズムであり、恥ずかしがる部分でもないし、それが人間であり、それを受け入れ己を信じ、なお生き続けねばならない。
という主張も見える。
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声優に庵野監督を採用したのも、主人公を演じれる人間では無く、主人公と同じ偏執狂であり、苦しみ、葛藤しながら答えを見つける、(宮崎監督の言葉を借りれば)傷つきながら生きてる人間から出る声(音)が欲しかったのだろう。
他にも同僚の本庄との昼食のシーンでは2人の設計師としての性格をうまく表していたり。
三菱に入って初めての仕事で主翼の取付金具を設計するのだが、革新的な新しいアイデアを提案するが、上司の黒川に「それでは主翼全体の設計変更になる!時間の無駄だ!」と怒鳴られるが、結果会社の指示通りの取付金具を起点に飛行機がバラバラになる。
残骸を拾い集める黒川に「空中分解の原因が取付金具だと思うか?」と聞かれ、「原因はもっと深いと思います」と答える次郎。
二郎は部分部分の数字の計算の能力も優れているが、それ以上に数字を全体のイメージに変えて、数字だけでは無いトータルでの設計能力に長けていたのではないかと思う。
そんな天才的な部分に宮崎監督は惹かれたのではないかと思う。
また、このシーンも印象的だ
二郎の相方の菜穂子が結核療養所から抜けだし、黒川邸へ居させて貰うのをお願いするシーン
黒川が「彼女の体を考えたら、一刻も早く山へ戻さないといけないぞ」と問い詰めるが、
二郎は「私が付き添えればいいのですが、飛行機をやめなければいけません。それはできません」
黒川「君のエゴイズムじゃないのか!」
次郎「僕たちには時間がないのです…覚悟しています」
通常、どちらかを選んだほうが潔く、物語の主人公としては格好いいのだが、そこにある他人が理解出来ない二人の絶対的な信頼関係。というか愛がある。
風を表現する風景もそうだが、「美しい映画を撮りたい」という宮崎監督の思う美しい物の一つでもあると思う。
描写にも色々あって、(当たり前だが)無駄なセリフや描写が見受けられ無い。
紙飛行機を飛ばすシーンも何故、菜穂子が投げた紙飛行機がキャッチ出来ずに白人男性(コミンテルンの情報収集家?)の手の中で潰れるのか?というのを帽子の描写と重ねて、もう一度見た時に考えたい。
この映画は何度も何度も見た方が良いと思うし、年を重ねて見返すのもいいだろうと思う。
シーンごとに感じた事が多すぎてキリが無いのでこの辺で失礼します。
ちなみに冒頭の絵画はクロード・モネの「散歩、日傘をさす女性」です。(この辺もリンクしてるのかなぁ・・・)
すべての事は宮崎監督の中にある物でもあり、本人すら言葉では表現できない部分もあるのであろうと思いました。
あと、本当の最期に
宮崎監督が「この映画を通して、そんな時代に生きた人達がいたことを知ってほしい」と言っていたが、その時代の人々を知るだけで終わらず、昔の人を知ることで”これからどの様に生きて行くか”というのを考えて欲しい、と私には聞こえた。
てか、カッパ無しでバイクで行っちゃ駄目な日だった
しつこいですが主題歌「ひこうき雲」
荒井由美のファーストアルバムの一曲目で、40年前の歌詞がこんなにも本作とハマるという驚き。
風を描く事に特化した宮崎作品の一作目が「風の谷のナウシカ」で最後の作品が「風立ちぬ」。それ以外にタイトルに一切「風」が付いていない驚き。
ps.アイドルと思ってたけど、ええ感じですね(また変化球ですまない)
進歩(エボリューション)
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前にも使った写真ですが、ご存知太陽の塔。
1970年大阪万博のメインシンボルとして建てられたこの太陽の塔は、岡本太郎氏によって作られた作品であるのはあまりに有名だけど、それについて私の知っているウンチク的な話を。
前にも少し書いたが、万博のメインシンボルを作る際に、有名な建築家などを当たったが引き受けてくれる人物がいなかったそうな。
そこで候補に挙がったのが岡本太郎氏。
万博のテーマは「進歩と調和」それに沿ったメインシンボルが望まれたのだが、実はこの太陽の塔はそのテーマを全く否定した物であった。
万博当初は公開されていた地下の部分には、主催者側からはナポレオンやエジソンなど世界の偉人を展示して欲しいと頼まれたが、これを拒否し「この世界を支えているのは一人一人の普通人達なんだよ」と、なんでも無い労働者や子供たちの写真を展示したという。
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太陽の塔は3つの顔があるのだが、「過去」「現在」「未来」を表しているという。
特にこのお腹の位置にある「現在の顔」
これは高度経済成長を成し遂げ(あまりの急成長をした)浮かれに浮かれた現在(1970年当時)に対して否定的というか懐疑心をあらわにしたものである。
写真中にもあるとおり、後に岡本太郎氏は語っている「僕は進歩と調和という万博のテーマを信じない」「調和は妥協に過ぎないし、進歩主義という観念自体も信じない」
なんと、メインシンボルなのに万博のテーマを真っ向から否定するという実に無茶苦茶なメッセージが込められていたのであった。
※「愛は地球を救う」という番組のテーマソングを作って、歌詞の内容が「こんな番組では地球は救えねーよ~♪集まった募金額より高い制作費やタレントへのギャラ~♪」って言ってる様なものデス。
太陽の塔が「おいおい、お前ら。そんなに浮かれて進歩だ進歩だと言ってるが、これ以上の進歩が本当に必要なのか?」と睨みつけておるのです。
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「進歩の何がいけないの?」
そう思う方も多くおられるだろうと思う。
私も進歩の恩恵を受け、利用もしている。
ここに一つ、進歩の行き過ぎた形を紹介しておこう。
まだ、世間ではそこまで話題になっていないと思うのだが、「2045年問題」というものがある。
これは何かと言うと、人工知能の技術がどんどん進んで行っていて、2045年には全人類の知能を凌ぐ人工知能が出来るというのだ。それから先はどんどん進み、人工知能がどんな事を思いつき、考え、何を生み出すのかは全く予測不能な自体となるそうだ。
「えー、俺すでに電卓にも勝てへんで~」とかいう話ではなく、あらゆるスペシャリストや英知をもった人を超え、脳のメカニズムをすべて理解し(シナプスの動きを正確に把握したり)、それを超えといった具合だ。
動物の世界は弱肉強食が当たり前なのだが、人間には天敵が居ない。この70億人にも膨れ上がった人間を人類を超えた人工知能はどう見るか?といった事が問題視され、欧米ではそれの対策などに多くの予算をかけているそうな。
音声認識システムを発明した天才科学者カーツワイルはこの加速は止めれないとし、自分の意識を残しコンピューターと一体化する事を目標とし、研究しているという。
※コンピューターおばあちゃんならぬ、コンピューター人間だってさ
要は本人が死んでも、自分の意識(感覚)は生き続け、どんどん賢くなるコンピューターと共に生きる。ある意味不老不死でもあり、神の領域に行こうとしている。
まあ、科学者からしたら全宇宙の謎など、世の中のすべての謎を解明したいけど、どんな天才でもそれは不可能で、人工知能人間?になることでそれが叶うという夢のような話。
でも、一般の人間からしたら、何を考え出すか知れないコンピューターを創りだすなどというのは堪忍してくれってな話ですよね。
※まぁ、この辺の問題を言っている日本の科学者もだいぶSF好きなので、ターミネーターのような世界にはそうそうならんだろうと言うのがわたしの見解ですが。
進歩と言えば医療の進歩もすばらしく進んだものです。
医学の進歩のおかげで悲しい思いをした人がだいぶ減った(勿論、私も経験があるので否定はしません)反面、伸び続ける平均寿命、増える人口。
何学的に見るかで結構変わるが、もともと人間の寿命は50歳程だそうで、みんなが100歳まで生きたら労働できる世代とのバランスが崩れるのは当然。
ただでさえ破壊されていく地球の環境に、これから途上国が急成長すればさらに環境破壊は加速していく。
産業革命で機械が人の代わりに働き、失業者が増えたぐらいまでは可愛い話。
普通の製造業とかは、まず使う材料を作る人が労働時間に対してお金をもらい、それを組み立てる人も労働時間に対してお金をもらい、それを売る人も労働時間に対してお金をもらい、それを労働した人が買ってというバランスが成り立っているのに、IT革命でボタン一つで億単位の金を稼ぐ物が出て来てバランスを崩している。
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世界の景気が悪いとかいうのは其の辺のバランスが一部に偏っているだけでは?と思う。
不景気と言うとリーマンショック以降と言う言葉を耳にするけど、当のリーマン・ブラザーズの多くの幹部や社員たちは高額の退職金や手切れ金を手にしたといわれる。(いろいろと茶番くさい)
世界の人類平均のGDP、つまり世界の人の平均の生産高は年間たったの70万円くらいなんです。それを知ると、いかにバランスが悪いかがなんとなく解ってくる。
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世界で生産される食料は120億人分。
なのに足らないのはなぜだろう?
本当に人間は進歩したのだろうか?と思ったりもする。
本当に必要なものと、よくよく考えると不要なものを区別して行かねばとも思う。
世界はまだ不幸だってさ
価値は生命(生き方って事)に従ってついていく
~出る杭は打たれる~
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2011年3月12日 原発から放射性物質が出ている事を知った。
まだ震災の真っ只中で助けを求めている人もいる中、不謹慎という思いの中、以前目にかけた“原発がどんなものか知ってほしい”というサイトを思い起こした。
(デタラメだという反論もあったが事故後の暴かれた事象をみれば大体あってたんじゃないかと思う)
平井憲夫さんという元原発従事者の方が書いた内部告発的なヤツです。(97年にガンで亡くなられています)
テレビを見ると、菅や枝野の青ざめた顔をみて、直感的に「コイツ等とんでもない嘘をついてるな」と思った。とにかく表情がオカシかった。
他のテレビでは女子アナが「メルトダウン」と言った途端、赤メガネの澤田という御用学者が「メルトダウンなんて専門用語は無いんだよっ!!何を言ってるんだ」っと怒鳴りつけた。
「あ~、これは何か大変な事が起こってるな」とだんだん確信になってきた。
その後、知り合いの情報通(ネットのとかじゃないよ)と話したら、急に神妙な顔して「あれは、、本当にヤバイ事になってるんだよ」と教えて貰った。(その人は東京の身内をこっちに避難させていた)
そんな状況の中、この震災の真っ只中、この事を発信すべきかどうか悩みに悩んだ。放射能による次なる被害を危惧すべきか、今は被災中の人の為にどうすべきかを第一に考えるべきか、自分なりに考え、悩んだ。
結局、バイク屋である私が自身のブログでそんな極めて私的な考えを発信する事はなかった。
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そして14日、3号機の爆発を見てどーにも抑えきれず、大神戸の河田氏にメールした。その時に先程の平井氏のサイトも添付した。
同じように、河田氏もどうすべきか悩んでいた。
そして、15日に掲載された。
出すかどうかさんざん悩んだ末の事だ。
こんな時に不謹慎という空気と、これ以上違う犠牲者を出したくないという葛藤の末の事だと思った。
この頃まだ半径20~30kmは家の中で退避とテレビでは言っていた。
「それじゃダメだ、もっと出来るだけ遠くに逃げなくては」と思っていたが、どうする事も出来なかった。
※その頃
・東京電力はSPEEDIのデータで知っていた。
・原子力安全委員会はSPEEDIのデータで知っていた。
・日本政府はSPEEDIのデータで知っていた。
・文部科学省はSPEEDIのデータで知っていた。
・外務省はSPEEDIのデータで知っていた。
・防衛省はSPEEDIのデータで知っていた。
・米軍はSPEEDIのデータで知っていた。
・米政府はSPEEDIのデータで知っていた。
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それから1年程が経ち、心の中で変化が起き始めた。
チュニジアやエジプトでtwitterやFace bookなどのネットのツールで集まった人々が、何十年も続いた独裁(軍事)政権を次々に倒していった、”アラブの春”を目の当たりにして、ネットでの小さな始まりが何かを変える事が出来るかも知れないと思い始めた。
※この様なムーブメントの裏側とかイロイロ考えだしたらキリはないが、とにかく私の中の考え方に変化が生じたという事だけです。
10月19日の記事でTPP関連の事を書き、2012年の2月の“温度差”という記事に原発関連などの言いたいことをぶちまけた。
別に知識をひけらかそうなんて考えは毛頭なく、誤解されてでも自分の未来が、子供の将来が今より悪くならないで欲しいという思いだけで書いている。(同時に誰かに嫌な思いをさせてるかも知れないとも悩んでいる)
でも”場の空気”より、誰かが少し凹むことより、変えて行かないといけないと思う事がある限り、これからもチョイチョイ出しゃばって行くと思います。(スミマセン)
たとえ”言うだけ番長”であったとしても、何か少しでも未来に向けてプラスになればと切に願う。
思う事が有り過ぎますが、長くなりすぎたので、また今度にします。
心が変われば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる
MySelf
最近バイクのネタばっかりでオモんな~い。とクレームが来たので久しぶりのD級コラムです。
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アップロードした写真を間違えてますよ!川村さん!!
みたいな事になっていますが、恥を忍んでの顔出しNGキャラ解禁です。ブログの記事のタメ、タメらっちゃイヤよ。っちゅー感じです。
今回のお題はMyself マイセルフ(自分自身)。なんとも深いお題をおフザケ混じりで考えていきます。
自分自身というモノには、”自分が作り上げた自分自身”と、”他人が作り上げた自分自身”というのがあると思います。
私も若い時ほど自分で作った自分自身という物が非常に強かった様に思うのですが、年を重ねるごとに(年を食うではなく重ねるですよ)”他人が作った自分自身”っていう物も認められる様になって来ました。
年輪ってやつですかね。ちなみにドイツのお菓子バームクーヘンは年輪を表したお菓子でもあります。
当店の屋号は「オーセンティック モーター サービス」と言うのですが、巷では時々「オーセンさん」と省略されてしまいます。
自分の中ではオーセンティックという単語は省略できないので、「オーセン」っていうのは初めはかなり違和感を感じておりました。
また、私がいくらACEの徳山さんを意識して、「あんな渋くなりたい」と思った所で、ツレから「将来は絶対タメさんみたいになるな」と言われる様なモンで、案外他人の評価は自分の思った所と別の所にあったりします。
※タメさんは本当はカッコイイ。と、思う。(フォロー)
しかし、結局は他人が感じた事や思った事が作りあげた「自身」もそれはそれで本当の「自身」なんだな。それはひとつの「リアル」な事なんだな、と思うように考えの幅が(やっと)広がってきました。
もっと解り易く例を挙げると、毎日鏡の前でキメ顔で洗顔するA君(17歳)が居るとします。そのA君の初めての彼女B子が撮った写真を見てA君はこう言います。
「俺こんな顔嫌なんだけど、マジで」
B子は言います。「でも私はアナタの笑う時に目がちっちゃくなるのがカワイくて大好きなの」
A君は言います「いや、オマエぜったい変だって~。も~マジやだよ~」
その次の週、A君はB子に作った自作のラブソングを聞かせます。その様子を撮ったビデオを見てA君は言います。
「ちょ、俺の声こんな高い変な声かぁ?ちょっとこのビデオカメラおかしいんじゃねぇか?」
B子は言います。「うん、いつもと変わらないよ。私A君の声大好きだよ」
A君は言います。「いや、オマエの耳がオカシイし・・・」
うん、A君若いね!若すぎるね!若気の至り満開だね!っちゅう感じですね。
結局の所、自分の見た目も声も他人がより一番多く見てる訳で、自分の作った自分のイメージより、多くの人の意見が他人の感じた「自分」寄りであり、それを受け入れる事で凄く楽になれるんですよね。
もしも「自分はこうだ、自分はこうだ!」という思いと、人からの評価のギャップに苦しむ様な事があるなら、人から見た自分を「あっ、これが俺なんだ。そうか」と思える様になれば「フッ」と心が軽くなるかも知れません。
この事をテーマにしたハイロウズの曲があるので少し紹介します。
アルバム「リラクシン」より「パンチョリーナ」
ブルースハープのカリスマになる事に憧れる少年が、「あーなりたい、こーなりたい」と思いカッコいいニックネームを考えていた所、友達にパンチョリーナというニックネームを付けられてしまう。
でも結局は、他人の評価が自分を決めるって事や、自分の表面の部分より自分の恋や生活の事を心配してくれる友達って大事だね。って事を歌っていると私は解釈しております。
※PCで見ないと見にくいかと思います
<歌詞>
生きたいように生きるんだ <解釈>
なりたいもんになれるんだ
マディ・ウォーターズ ハウリン・ウルフ →名だたるブルースハープ奏者たち
サニーボーイ ライトニン
イカしたニックネーム →みんなカッコイイあだ名が付いている
古い単車のエンブレム →トライアンフのハーモニカエンブレム
ロマンチックでキラッとキザで
ニックネームでイメージアップだ →よーし、俺もカッコイイニックネームで
あれこれ迷うぼくを いっちょやったるぜ!!
誰かが呼んだ
おーい パンチョリーナ ヒマそうじゃないか
おーい パンチョリーナ 昼メシまだか
おーい パンチョリーナ はずれてばっか →あれこれごちゃごちゃ考えた多くの事
おーい パンチョリーナ あの天気予報 は結構はずれちゃうもんだよ
(※くり返し)
不覚にもぼくは振り向いていた →そうじゃないと言いながら、実は
自分でも思うところがある
一人で歩き出すまでは
友達が出来るまでは
ほとんどの名前はオヤジが決める
ニックネームは →社会に出たら自分の評価は
他人が決める 他人が決める
おーい パンチョリーナ ヒマそうじゃないか
おーい パンチョリーナ 昼メシまだか
おーい パンチョリーナ いけそうじゃないか
おーい パンチョリーナ 今度の恋は
おーい パンチョリーナ いけそうじゃないか →そんな事より自分を心配してくれる
おーい パンチョリーナ そう思わないか 友達を大事にしたほうがいいよ
これが私の解釈です。
私の解釈の部分を手で隠して歌詞の部分だけ見たら、大体の人は「なんのこっちゃ」となると思います。
ハイロウズの歌詞はバカっぽいフリして歌い素人を惑わすけど、実は本当に深い。(色んな知識とイメージ力が無いと解らないが)
動画サイトのコメントで「カワイイ」とか「カッコイイ」とかしか言えない「ファン」というヤツにちょっとうんざりしたりもしますが、もしかしたら kawamura-no-fukayomi~趣味の部屋~のコーナでハイロウズの歌詞について語るという、おおよそバイク屋のブログと全く関係ない事をやるかもしれません。
ちなみにパンチョリーナ症候群というものがあって、簡単に言うと「あれこれ考えすぎて(自分の殻に入って)行動ができない」という心の病気があります。
おまけ
言いたい事があるのだろうけれど、言いたい事が全然伝わってこない看板の動画を昔に作ったので貼っておきます。