- 2012-01-05 (木)
- kawamura-teki-古き日本を愛でる会
新年早々、変化球の効いたブログになります。
新カテゴリーとして「古き日本を愛でる(めでる)会」てのを、たま~にバイク関連の記事に挟みますが、まぁ趣味程度の物ですので、テキトーに見てやって下さい。
一発目は皆さんご存じ、聖徳太子の巻
聖徳太子と言えば、遣隋使(中国へ今で言う留学生を送り、日本の政治、文化の発展を高めた)を送ったり、10人の言葉を同時に聞き分けた(これは本来は違う)って話が有名ですが、「十七条憲法」について面白い話があるので簡単にお話しようと思います。
今の政治に不満のある方には、見比べれば特に面白い話かと思います。
「憲法十七条」の第一条の冒頭に出てくる「和をもって貴し(とうとし)となす」という言葉があります。
日本人特有の、とにかくカドを立てないとか、空気を読むとか、長い物には巻かれろといった、仲良く平和にやりましょう。といった意味でとらえられているのが一般的だという。
しかしながら、実は聖徳太子が言いたかったのは(その後に続く文や条項を見れば)まったく逆の事が言いたかったと言っても良いぐらいなのです。
その真意とは
「人はどうしても派閥や党派などを作りやすい。
そうなると偏った、かたくなな見方にこだわって、他と対立を深める結果になる。
そのことを戒めているのだ。
それを避けて、人々が互いに和らぎ睦まじく話し合いができれば、そこで得た合意は、おのづから道理にかない、何でも成しとげられる」というのだ。
今で言えば、自民も、民主も、右派も、左派も、日も、米も関係無く、正味で話合えばおのずと正しい道へと進んで行くという事。
で、第十条から見ると
「人が自分の意見と違うからといって、怒ってはならない。人にはみな心があり、心があればそれぞれ正しいと思う考えがある。…自分は聖人ではなく、相手が愚人でもない。共に凡人なのである。それゆえ相手が怒ったら、自分を見つめ直して自分の過失を考え直しなさい」
要は「他人からは矛盾に見えても、人はだれもが自分の中の正論という考えの中で生きている」と言えます。自分が絶対に正しいと思いこむのはイケマセンよって事。
んで、十五条ではこう言っている。
「個人の利益に背いて、公共利益のために尽くすのが臣下たる者の勤めだ。
自分の事ばかり考えてばかりいては、必ず他に恨みの感情が生まれる。
恨みがあれば心からの協調ができない。協調ができなければ結局、私的な事情で公務の遂行を妨げることになる。…」
今で言えば、大臣を勝手に決めては(対立派に)降ろされて、私的に近い法案が出てはもめて、と結局肝心な事が3歩進んで2歩以上戻って結果、国の前進につながって無い事を指摘している。
最後の十七条では
「重大なことがらは独りで決定してはならない。
必ず多くの人々とともに議論すべきである。…(重大なことがらは)多くの人々と共に論じ、是非を検討してゆくならば、その結論は道理にかなうものになろう」
ドジョーも管も勝手に決めやがりますがね・・・
簡単にまとめたつもりでしたが、解りましたでしょうか?
なんせ、今の政治家は聖徳太子のリーダーシップを見習って、十七条憲法を勉強し直して下さいって思います。
ちなみに冠位十二階はそれまでの、血族や身分の上下で役人を決めず、その分野の能力に長けた物を役人にする身分制度ですが、これも聖徳太子の行った事でした。
ずごいね!
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