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常識

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この写真は知っている方も多いと思いますが、1962年に1920年式のインディアンを遥か遠いアメリカのソルト・フラットに持ち込み、世界記録を樹立したバート・マンロー。その人です。

1920年のスカウトなんてせいぜい80km/hぐらいしか出ないバイクです。少し大げさかも知れませんが、スーパーカブの90の方が速いかも、てなぐらいです。工業製品は太平洋戦争後に大きく進化したので、1960年代に1920年のバイクで世界記録狙うなんて、当時でも常識知らずにも程があるといった具合だったでしょう。

そのバイクをピストンやシリンダーを自作してヘッドもOHVに改造して288km/hの世界記録を作った。しかも63歳のじいさんが。
1967年に出した記録は未だに破られていないという。

例えば、世界のスーパーエンジニアが結集して現代の技術にあやかって、もっと高年式のインディアンでマシンを作ればこの記録は破れるかも知れない。
でも、それは勝利や偉大な記録と呼べるのだろうか?

常識が確立された現代では、今にも先にもにこんな偉大なエンジニアは現れないと私は思っております。

バート・マンローに関しては有名過ぎるので、ここらへんにしておきますが、もし知らない人がいれば映画「世界最速のインディアン」を見て下さい。


さて、今回のお題の「常識」ですが、最もまともな事でもありながら、まったく逆方向の性格ももっている者だと思うのであります。

常識というやつは小さな子供にも通用しない事が多々あります。
たとえば子供の書く絵。顔から手や足が生えていたり、普通じゃ考えられない色使いで描いてきます。
でも彼らの目に映った物を感性のみで描くとああいった絵になるのです。そこには大人の考える常識など全く存在しないピュアな世界があるのです。

持論ですが、彼らは親や他の人間から言語や未知の情報をどんどん吸収する時期なので、しっかり顔を見てコミュニケーションをとる事が多いので、顔というものの印象がより強くあるのでそこから手足が生えてる様な絵を書いたりするのではないでしょうか?

色遣いが違ったり、構図がおかしいからといって、それを大人の常識で軌道修正するのは、正しい事ではないのかも知れません。


現実に目に映っている四角い物も、魚の目で見れば四角じゃないし、人間の目のレンズのカーブがもし違っていたならば全ての物が全く違う風に見えたのだろうとか、舌の神経が違えばこの世の中の物なんて不味くて食えないかも知れない。などと妄想している今日この頃なのです。


さて、我々大人になった人間ですが、皆様も自分の中にある程度常識というものが確立されていると思います。

そういう私はよく周りの人間におかしな奴だと度々言われるのですが、周りの常識から少し外れていた方が、新しい物を作れると思っていますので、その辺は勝手にポジティブにとらえさせてもらっています。

私事ですが、何ヶ月か前に「お気に入り」に入れていたブログなどを、数個を残し全て消去しました。最近は雑誌もほとんど見てません。情報が多すぎるので、極力、最小限の情報だけを吟味しようという考えに移行してきています。

こんなコラムなどを書いていますが、私は昔から本を読まないので、文章力、日本語力の常識に乏しいのでやさしく見守って下さい。

戦後に生まれた我々は、誰かが作った学校教育で、誰かが都合よく換えたかも知れない歴史を学び、誰かが作った社会で育ち常識を身に付けてきましたが、惑わされず、踊らされず自分を持って生きて行きたいものです。

難解な修理の作業でもたまにあるのですが、常識にとらわれ過ぎると何かを見失うのではないでしょうか?


~常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう~

     アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)

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