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MADE IN JAPAN ~本物の職人~

先日、深夜にチラッとテレビを見ていたのだが、内容が「東大阪の町工場が、中国に技術を売って不景気を乗り切る」という物でした。

その場しのぎにはなるけど、次の世代、その次の世代の事を考えれば、政府単位で考え直さないと、技術大国「日本」の未来は暗いんじゃないかと思うのです。


さて、「今回の古き日本を愛でる会」は昔の偉人では無く、御年79歳の現役の職人さんを紹介いたします。
私が最も尊敬する職人と言ってもいい方なので、最後まで読んでいただければ幸いです。


ロンドンオリンピックも近づいてまいりましたが、皆さんの注目している選手は誰でしょうか?

私は何と言ってもアトランタ、シドニー、アテネの三大会連続で、金、銀、銅メダルを独占したあの、砲丸の"球"です・・・・・・・・・・・・・・?

前フリからして大体お解りでしょうが、その砲丸を作っている方が、埼玉県の辻谷工業の辻谷政久という職人さんです。

世界の他のメーカーの砲丸は、何千万か億するコンピューター制御の機械で作っているのですが、辻谷さんは40年以上使っている汎用旋盤で手作業で砲丸を作っている。

よりよく飛ばす事が出来る砲丸の条件は、重心をより球の中心に持っていくかという事だそうです。材料が不純物の多い鋳物なので、まん丸に削っても重心はバラつくのです。

他社は辻谷さんの砲丸に対抗してマシニングで削り、バランスを見る機械でバランスを見て、穴を開けて鉛を注入してバランスを取るそうです。(反則くさいよなぁ・・・・)

でも、辻谷さんは、削れる音や、表面の色で判断し、何よりも手に伝わって来る微妙な振動で重心の位置が解かると言うから驚きです。

まん丸に削るだけでも大変ですが、7260gの鉄の球をたった10gの誤差で手作業で削る。
しかも鋳造の条件によって重さが変わるので、同じ大きさにしても重さはかなり変わるらしい。それをさらに重心が球のど真ん中に来る様に手の感覚で削る。
まぁ、考えられないくらいスゴイのですが、解って頂けるでしょうか?


私が辻谷さんを知ったのは、3~4年前にニュースのとあるコーナーで紹介されていたのを見て驚愕と感動を覚えたのが最初です。

辻谷さんが初めて砲丸をオリンピックに提供したのは1988年のソウルオリンピックでした。それまで砲丸なんか作った事が無いとこから始め、何年もかかってやっとの思いで公式採用されるに至ったのであった。

しかし、残念ながら新参者の辻谷さんの砲丸は使われる事はなかったという。

その悔しさをバネに、次の1992年のバルセロナでは、選手の指紋などをデータで集めて独自の技術として砲丸の表面に微妙な「筋入れ」を施した。

すると徐々に評判が上がり選手たちが使ってくれる様になったという。残念ながらこの年もメダルは採れなかった。


そして、また4年後の1996年アトランタオリンピックで、ついに辻谷さんの砲丸は金メダルを獲得したのであった。同時に銀メダル、銅メダルを取った選手も皆、辻谷さんの砲丸を選んだのであった。
数多くある砲丸の中から、なんと決勝に出れた12人全ての選手が辻谷さんの砲丸だったというから驚きだ。


<アトランタ、シドニーで使われた筋入りの砲丸 ※競技用には打刻は入って無い>

続く、2000年のシドニーでも金、銀、銅メダル独占の快挙。もはや辻谷さんの砲丸は圧倒的な品質を誇っていた。

しかし、ある米国の企業から「筋入れは反則だ」とクレームが入り、次のアテネでは表面をツルツルに加工しなければいけなくなってしまう。

しかし、辻谷さんの砲丸の真骨頂は「重心がど真ん中にある世界で唯一の砲丸」と称されるだけあって、そんな事はもろともせず、またしても2004年のアテネオリンピックで金、銀、銅メダル独占するのであった。

このまま何連続でメダル独占して行くのかと、注目もされていた。

そして2008年の北京オリンピック。

辻谷さんの砲丸はそこには無かった。
砲丸の提供を断ったのであった。

理由は、日本の工業技術を教えてくれと盗むだけ盗み、(出来は2流3流だが)日本の工業を衰退させる国が、サッカーアジアカップでの日本人選手に対する罵声を浴びせ、反日デモを行っている。"そんな国には私の大切な砲丸を預ける事は出来ない"と言ったそうだ。

「MADE IN JAPAN のプライドをなめんなよ」 といった感じですね。

ちなみに、北京では新記録は出なかったそうだ。(当たり前か・・)


そしてこんな話もある。
ある米国のスポーツメーカーNから、米国に来て技術指導者になって欲しいとオファーが来た。

給与は週休2万ドル(当時で約200万)の3年契約。つまり年間1億超の給料を出すとの話であった。

しかし、辻谷さんはコレを断った。(そしてその次のオリンピックからあの「筋入れ」が禁止になったんですね・・・)

辻谷さんはこの砲丸を完成させるのに鋳造屋で勉強させてもらい技術を教えて貰ったり、「材料いくらでも使っていいぞ」と言われ何度も研究したり、その他にも色んな人のおかげで自分の技術がある。
それを自分だけが良い思いをするなんてとても出来ない。とおっしゃっていた。

そして、日本の技術流出が日本の工業をダメにしているのを良く解っていたんじゃないかと思う。

サムソンに何億も出されてホイホイ着いていく、元「日立」の吉川良三とかには一生解らんでしょうが・・・


「技術大国、日本」という物が、古き日本の物語にならない様に、と願うばかりです。

最初に紹介したとおり、辻谷さんは御年79歳。本人はこのロンドンが最後のオリンピックだという。

次も頑張って欲しいが、今は只ロンドンでのメダル独占及び、新記録が出る事に注目しようではありませんか。

※追記

今回書きたい事が沢山あったのですが、なるべく読みやすい様にまとめました。

私が書かなかった事が他にも書かれている記事を下に貼っておきます。興味のある方はどうぞ。

http://jqrmag.com/?p=49

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