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精神(スピリッツ)は受け継がれていく

えーっと、まず初めに私は右翼でも右寄りでもございません。ニュートラルな人間だと思っております。

私、先日のスパイゾルゲの話の中にも出てきた通り、開戦前の日本には「南進論」「北進論」とあったりした様に東南アジアに日本が進軍したのは100%「大東亜共栄圏」の為にしたとも考えておりません。


今日の古き日本を愛でる会は「神風特攻隊」についてではなく、いや、関係あるっちゃーありまくりですが、その精神について思うことを書きます。

まず初めに、特攻についてマイナスなイメージしか無い人に説明します。(これが無いと話が進まない)

大雑把に説明すると、(今じゃ考えられないかも知れないけど)日本とタイを除く東南アジアのすべての国が白人の植民地として不当な差別を受けていたとしている。
1919年に国連で「人種差別撤廃条項」を提案するが賛成が過半数を得たのに"全員一致ではない"とされ認められなかった。
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そして国連常任理事国脱退
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1941年末、なんじゃかんじゃで開戦(←今回の主題ではないので割愛)
        ↓
1942年6月ミッドウェー海戦までは日本軍がどんどん勝ちまくっていたが、それを期にジリジリ負け越して行く。
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1944年10月、大西瀧治郎 中将の元「特別攻撃隊」が編成される
       
意思としては「このままでは半年で燃料などの物資が尽きる、どんどん弱体化して完全な敗北をするより、このフィリッピンを最後の戦場とし日本の底力と気迫を見せてから講和(戦争を終わらす)に持ち込めば、コテンパンにやられた後よりもいい条件で終わらせる事が出来る。そしてこの歴史的事実が戦後の日本にも精神が受け継がれるであろう」

という(ザックリし過ぎな感じの)流れです。

※作戦当初と、後半では意味合いが大きく異なったり、特攻作戦が一人歩きしフィリピンでは終わらなかったりしたりで、戦後様々な意見が言われる事となった。

現代の道徳ではおよそ考えにくいかも知れないが、祖国を守る=愛する母や妻、子供を守る 愛する人が、白人の奴隷になり、美しい日本文化が全て奪われるかも知れないと当時の人達は考えていたのです。

本土への無差別爆撃(空襲)も始まり「死ぬ気で家族をを守る!」「これ以上本土への攻撃をさせるか!」と様々な思いを持って(家族の顔を頭に思い描き)突っ込んで行ったのを想像して見て下さい。

今は戦争がなぜ起き、世界でなぜ戦争が無くならないのかが大体解ったので、私はこの様な作戦(というか戦争自体)に参加する事はないが、二十歳ぐらいの私が当時に居たなら「(もう既に不利になっている)陸戦で敵の弾に当たるかどうかビビリながら死ぬより、敵の空母にぶち当たって死ぬ方が本望」と思っただろう。

まだ理解出来ない人にわかり易い様に今の事で言えば、原発で大惨事が起き、人が誰も近づけない。でも誰かが行かないともっと悲惨な事になる。そんな中、志願したのが特攻隊の人達だと考えれば大体想像がつくかと思います。      


んで、ここからが本題ですが、前置きが長くなったので短くまとめます。

戦時中の日本は皆「お国のため!」と一致団結していた。国の為に頑張る=愛する家族が幸せになる。という図式があったように思う。

それが戦後、特攻精神を受け継いだ社長達が、「戦争で負けたけど技術でアメリカに(世界に)勝つ!と意気込み、社員も「会社(社長)のため!」と一丸となり日本経済を底から世界のトップに押し上げたと私は考えております。

それがバブル経済という幻想の中、メディアによって「会社の為なんて馬鹿らしいぜ~、もっと自由になろうぜ~」という空気が作られ、いつの間にか「自分のため!」に変わって行った。
(やたらと過労死とかの報道がされたりとか)

「自分の人生なんだから自分のために生きるってステキ☆」その意見も理解は出来ます。しかし、その自分の為、自分の為ってのが世の中を悪くしてる一端を担っているのも事実かと思います。

今一度、「ノチノ ニホンニ エイコウアレ」と特攻で死んでいった人達が必死で守ろうとした物を考え直す事は、この低迷している日本では大事な事なのかも知れませんね。


最期に、パイロット志願だったがパラシュート事故以来、来航空機関士となり、戦争末期には特攻隊の先導を行い、弟や多くの仲間の死を見送ったヨシムラの吉村秀雄の動画を貼っておきます。(マジでこれは必見!人生において有意義な42:58秒)

紛れもなく特攻精神を受け継いだ一人だと思っております。そしてその吉村の精神は多くの技術者へと受け継がれて行っている。


ps,特攻作戦を発案した大西中将は戦争が終わった翌日、自身への責任を取る為自らの腹を切り自決した。
(通常、切腹したら介錯、つまり首をはねてもらうのだが、それをせずに長時間(数時間とも半日とも言われる)痛みに耐え続け絶命したという。)

ハラキリも現代の道徳では非道徳的行為であるけど、大きな過ちを犯しても記者会見で頭を下げるだけで許されるよりは、持ち合わせておくべき精神なのかも知れないですね。

「なんかあったらワシが責任取るから、思いっきりやってこい!」っていう昭和の大社長らが日本を前進させたんじゃないかとも思う今日この頃

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