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MySelf

最近バイクのネタばっかりでオモんな~い。とクレームが来たので久しぶりのD級コラムです。


アップロードした写真を間違えてますよ!川村さん!!

みたいな事になっていますが、恥を忍んでの顔出しNGキャラ解禁です。ブログの記事のタメ、タメらっちゃイヤよ。っちゅー感じです。


今回のお題はMyself マイセルフ(自分自身)。なんとも深いお題をおフザケ混じりで考えていきます。

自分自身というモノには、"自分が作り上げた自分自身"と、"他人が作り上げた自分自身"というのがあると思います。
私も若い時ほど自分で作った自分自身という物が非常に強かった様に思うのですが、年を重ねるごとに(年を食うではなく重ねるですよ)"他人が作った自分自身"っていう物も認められる様になって来ました。

年輪ってやつですかね。ちなみにドイツのお菓子バームクーヘンは年輪を表したお菓子でもあります。

当店の屋号は「オーセンティック モーター サービス」と言うのですが、巷では時々「オーセンさん」と省略されてしまいます。
自分の中ではオーセンティックという単語は省略できないので、「オーセン」っていうのは初めはかなり違和感を感じておりました。

また、私がいくらACEの徳山さんを意識して、「あんな渋くなりたい」と思った所で、ツレから「将来は絶対タメさんみたいになるな」と言われる様なモンで、案外他人の評価は自分の思った所と別の所にあったりします。
※タメさんは本当はカッコイイ。と、思う。(フォロー)

しかし、結局は他人が感じた事や思った事が作りあげた「自身」もそれはそれで本当の「自身」なんだな。それはひとつの「リアル」な事なんだな、と思うように考えの幅が(やっと)広がってきました。


もっと解り易く例を挙げると、毎日鏡の前でキメ顔で洗顔するA君(17歳)が居るとします。そのA君の初めての彼女B子が撮った写真を見てA君はこう言います。
「俺こんな顔嫌なんだけど、マジで」
B子は言います。「でも私はアナタの笑う時に目がちっちゃくなるのがカワイくて大好きなの」

A君は言います「いや、オマエぜったい変だって~。も~マジやだよ~」

その次の週、A君はB子に作った自作のラブソングを聞かせます。その様子を撮ったビデオを見てA君は言います。
「ちょ、俺の声こんな高い変な声かぁ?ちょっとこのビデオカメラおかしいんじゃねぇか?」

B子は言います。「うん、いつもと変わらないよ。私A君の声大好きだよ」

A君は言います。「いや、オマエの耳がオカシイし・・・」


うん、A君若いね!若すぎるね!若気の至り満開だね!っちゅう感じですね。
結局の所、自分の見た目も声も他人がより一番多く見てる訳で、自分の作った自分のイメージより、多くの人の意見が他人の感じた「自分」寄りであり、それを受け入れる事で凄く楽になれるんですよね。
もしも「自分はこうだ、自分はこうだ!」という思いと、人からの評価のギャップに苦しむ様な事があるなら、人から見た自分を「あっ、これが俺なんだ。そうか」と思える様になれば「フッ」と心が軽くなるかも知れません。


この事をテーマにしたハイロウズの曲があるので少し紹介します。

アルバム「リラクシン」より「パンチョリーナ」

ブルースハープのカリスマになる事に憧れる少年が、「あーなりたい、こーなりたい」と思いカッコいいニックネームを考えていた所、友達にパンチョリーナというニックネームを付けられてしまう。

でも結局は、他人の評価が自分を決めるって事や、自分の表面の部分より自分の恋や生活の事を心配してくれる友達って大事だね。って事を歌っていると私は解釈しております。

※PCで見ないと見にくいかと思います

<歌詞>
生きたいように生きるんだ                  <解釈>
なりたいもんになれるんだ
マディ・ウォーターズ ハウリン・ウルフ   →名だたるブルースハープ奏者たち
サニーボーイ ライトニン
イカしたニックネーム              →みんなカッコイイあだ名が付いている

古い単車のエンブレム             →トライアンフのハーモニカエンブレム
ロマンチックでキラッとキザで
ニックネームでイメージアップだ       →よーし、俺もカッコイイニックネームで
あれこれ迷うぼくを                いっちょやったるぜ!!            
誰かが呼んだ

おーい パンチョリーナ ヒマそうじゃないか 
おーい パンチョリーナ 昼メシまだか
おーい パンチョリーナ はずれてばっか  →あれこれごちゃごちゃ考えた多くの事
おーい パンチョリーナ あの天気予報     は結構はずれちゃうもんだよ

(※くり返し)

不覚にもぼくは振り向いていた        →そうじゃないと言いながら、実は
                             自分でも思うところがある
一人で歩き出すまでは             
友達が出来るまでは
ほとんどの名前はオヤジが決める
ニックネームは                  →社会に出たら自分の評価は
他人が決める                    他人が決める

おーい パンチョリーナ ヒマそうじゃないか
おーい パンチョリーナ 昼メシまだか
おーい パンチョリーナ いけそうじゃないか
おーい パンチョリーナ 今度の恋は
おーい パンチョリーナ いけそうじゃないか →そんな事より自分を心配してくれる
おーい パンチョリーナ そう思わないか     友達を大事にしたほうがいいよ


これが私の解釈です。
私の解釈の部分を手で隠して歌詞の部分だけ見たら、大体の人は「なんのこっちゃ」となると思います。
ハイロウズの歌詞はバカっぽいフリして歌い素人を惑わすけど、実は本当に深い。(色んな知識とイメージ力が無いと解らないが)
動画サイトのコメントで「カワイイ」とか「カッコイイ」とかしか言えない「ファン」というヤツにちょっとうんざりしたりもしますが、もしかしたら kawamura-no-fukayomi~趣味の部屋~のコーナでハイロウズの歌詞について語るという、おおよそバイク屋のブログと全く関係ない事をやるかもしれません。

ちなみにパンチョリーナ症候群というものがあって、簡単に言うと「あれこれ考えすぎて(自分の殻に入って)行動ができない」という心の病気があります。


おまけ

言いたい事があるのだろうけれど、言いたい事が全然伝わってこない看板の動画を昔に作ったので貼っておきます。

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