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矛盾 覚悟 偏執狂   美しいもの

「風立ちぬ」を見てきました

タイトルにある矛盾。これについて以前の聖徳太子の記事でチラッと書いただけなので、覚えている人はほとんど居ないと思うのでもう一度書くと、「他人からは矛盾に見えても、人はだれもが自分の中の正論という考えの中で生きている」という事を書きました。

※「出る杭は打たれる」というエントリーに反響がありましたが、"この和をもって貴しとなす"の真意というのは同じ様な事が書かれているので、是非、理解するまで読み返して頂きたい記事なのです。そして、なぜこの記事が「古き日本を愛でる会」のカテゴリーの一番初めに持ってきたのかまで考えて貰えると幸いです。


他人にはどうしても理解出来ない事が、本人の中では色々な事がリンクしているという事もあるのです。

そんな中、現在公開中の「風立ちぬ」が非常に気になっていたので、10何年ぶりに一人でレイトショーに行って来ました。


今回はコラムではなく、ほぼ映画鑑賞の感想になります。「風立ちぬ」を既に見た人や、興味がある人に見てもらえればそれでいいです。

まず初めにこの映画は様々な事がリンクしていて、ちゃんと説明するにはセリフの一語一句、シーンの描写など事細かに関連しているので真面目に書いたら途方もない量になるので端折ります。
後はまぁ、何を言おうが結局は「映画が全てを語っている」というのを理解してるのを前提に書きます。ただの感想ですから。


どんな人に向いてるのかというと、映画マニア、軍物オタク、小説好きとかもいいですが、何か異常なまでに物事を(苦しみながら)突き詰めてる人がより共感できるのではないかと思わせる内容でした。


※写真は堀越二郎の理想の飛行機を形にした九試単座戦闘機。
堀越と言えば零戦だが零戦は軍の無茶な要望に答えるべく作ったので九試単戦を愛したのじゃないかな?と思う。

主人公の堀越二郎がひたすら美しい飛行機を追い求める様(さま)に、宮崎駿が映像作品に求める姿がリンクし、結果として戦争の道具になる飛行機を作る次郎の矛盾と、反戦反核を訴えながらも戦闘機の美しさを愛してしまう宮崎駿の矛盾。(戦時中、父親が飛行機の部品を作る工場をしていて、貧しい時代に軍需産業で設けたお金で温々と育った事もリンクしてる)


矛盾を表すあるシーン。
世の中が不景気のどん底の時代、二郎が貧しい路上で親の帰りを待つ子供にシベリア(お菓子)を与えようとするが断られる。

その話を同僚の本庄にしたところ、「俺たちがやってる飛行機の開発に消える金で、日本中の子供たちに天丼とシベリアを毎日食わせてもまだお釣りがくるんだ」「それでも俺はチャンスを無駄にしない」というシーンが二郎の矛盾を描写している。


小説「風立ちぬ」の堀辰雄のフィアンセが結核(当時は不治の病とも言われた)になるが共に生きる事の覚悟と、映画の劇中様々な事が起こるが、その度にやはり飛行機作りを続けていく覚悟などがリンクしている。
更に言うと、そんな病気の相方をも自身の作品(小説)にしていく堀辰雄の偏執狂(へんしゅうきょう)ぶり、関東大震災が起こってる最中にも白昼夢を見て飛行機の事を考えている二郎の偏執狂ぶり。

本人と一部の人間にしか解らない世界観。優れていると賛美される者(物)の影にある非難の声。
矛盾やオカシイと言われる物事を、己の中にある正義を信じ生きていく。

矛盾という物を紐といて理解し考えようとしても、結局、矛盾というものは矛盾である。格好良く生きようとしても格好悪い部分がある、美しいと言われるものは時として醜い部分を内に含んでいる。

それこそがリアリズムであり、恥ずかしがる部分でもないし、それが人間であり、それを受け入れ己を信じ、なお生き続けねばならない。

という主張も見える。


声優に庵野監督を採用したのも、主人公を演じれる人間では無く、主人公と同じ偏執狂であり、苦しみ、葛藤しながら答えを見つける、(宮崎監督の言葉を借りれば)傷つきながら生きてる人間から出る声(音)が欲しかったのだろう。

他にも同僚の本庄との昼食のシーンでは2人の設計師としての性格をうまく表していたり。

三菱に入って初めての仕事で主翼の取付金具を設計するのだが、革新的な新しいアイデアを提案するが、上司の黒川に「それでは主翼全体の設計変更になる!時間の無駄だ!」と怒鳴られるが、結果会社の指示通りの取付金具を起点に飛行機がバラバラになる。

残骸を拾い集める黒川に「空中分解の原因が取付金具だと思うか?」と聞かれ、「原因はもっと深いと思います」と答える次郎。

二郎は部分部分の数字の計算の能力も優れているが、それ以上に数字を全体のイメージに変えて、数字だけでは無いトータルでの設計能力に長けていたのではないかと思う。
そんな天才的な部分に宮崎監督は惹かれたのではないかと思う。


また、このシーンも印象的だ

二郎の相方の菜穂子が結核療養所から抜けだし、黒川邸へ居させて貰うのをお願いするシーン
黒川が「彼女の体を考えたら、一刻も早く山へ戻さないといけないぞ」と問い詰めるが、
二郎は「私が付き添えればいいのですが、飛行機をやめなければいけません。それはできません」

黒川「君のエゴイズムじゃないのか!」
次郎「僕たちには時間がないのです…覚悟しています」

通常、どちらかを選んだほうが潔く、物語の主人公としては格好いいのだが、そこにある他人が理解出来ない二人の絶対的な信頼関係。というか愛がある。

風を表現する風景もそうだが、「美しい映画を撮りたい」という宮崎監督の思う美しい物の一つでもあると思う。


描写にも色々あって、(当たり前だが)無駄なセリフや描写が見受けられ無い。
紙飛行機を飛ばすシーンも何故、菜穂子が投げた紙飛行機がキャッチ出来ずに白人男性(コミンテルンの情報収集家?)の手の中で潰れるのか?というのを帽子の描写と重ねて、もう一度見た時に考えたい。

この映画は何度も何度も見た方が良いと思うし、年を重ねて見返すのもいいだろうと思う。


シーンごとに感じた事が多すぎてキリが無いのでこの辺で失礼します。

ちなみに冒頭の絵画はクロード・モネの「散歩、日傘をさす女性」です。(この辺もリンクしてるのかなぁ・・・)
すべての事は宮崎監督の中にある物でもあり、本人すら言葉では表現できない部分もあるのであろうと思いました。


あと、本当の最期に
宮崎監督が「この映画を通して、そんな時代に生きた人達がいたことを知ってほしい」と言っていたが、その時代の人々を知るだけで終わらず、昔の人を知ることで"これからどの様に生きて行くか"というのを考えて欲しい、と私には聞こえた。


てか、カッパ無しでバイクで行っちゃ駄目な日だった

しつこいですが主題歌「ひこうき雲」

荒井由美のファーストアルバムの一曲目で、40年前の歌詞がこんなにも本作とハマるという驚き。
風を描く事に特化した宮崎作品の一作目が「風の谷のナウシカ」で最後の作品が「風立ちぬ」。それ以外にタイトルに一切「風」が付いていない驚き。

ps.アイドルと思ってたけど、ええ感じですね(また変化球ですまない)

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