Home > Archives > 2012年01月

2012年01月

古き日本を愛でる会~昔の技術者編~田中久重


大滝秀次ではございません。

超一部の人に好評をいただいている、「古き日本を愛でる会」の第二弾でございます。

東洋のエジソンとも言われた、田中久重(1799~1881)江戸時代末期の発明家であります。

このお方は、現代の日本の技術の基礎となる様々な物を作られたのですが、中でも最高の情熱をそそいだと思われる万年時計について紹介しようと思います。

まずは画像↓

これが万年時計でございます。

後ほど動画を貼りますが、ホントに震えあがる程に凄い時計なのです。

出来れば(ちょっと長い)動画を全部見ていただいて、私は何も言わない方が良いのですが、少しだけ触れさせて頂きます。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

時は江戸時代末期、時計その物は存在してはいました。

当時の日本では今みたいに24時間で区切って時計の針が1~12時まで並んでいる物とは違いました。

解り易く説明すると、時間と言う物の観点がそもそも今と違い、下の図の様に、日の出を六とし、五、四、九、八、七、そして日の入りを六とし、五、四、九、八、七としていました。

現代の時計の文字盤で当てはめようにも、夏と冬で日の出ている長さが違いますので、針が正確に時間を指しません。


当時の和時計は季節によって変わってしまう時間を、2週間に一度、時計の振子の重りを調整したり、文字盤を交換したりしなければなりませんでした。
しかし、久重の万年時計は1度ゼンマイを巻けば1年間動き続け、しかも正確に時を刻むという画期的な物でした。

天球儀や曜日の表示など7つの機能を同時に動かすなど、凄いのはそれだけではないのですが、続きは動画で見ていただければ感激すること間違いなしです。(たぶん)

つづき part2~8
      ↓
http://www.youtube.com/watch?v=HP_4seRr0fw&feature=results_main&playnext=1&list=PLFF058141962EDE3B

全部で1時間半程あるので時間のある時にどうぞ。十分に価値はあると思います。

私はこの動画を初めて見た時は身震いし、何度も何度も唸りました。

日本の技術者の凄さ、素晴らしさをもっと多くの日本人に知って欲しいものです。

減るミッションオイルの怪

久しぶりに、自分でメンテナンスする人の為のコーナー。
今回は、ミッションオイルの交換の注意点をレクチャーいたします。



オイル交換は、ドレンを外してオイルを抜いて、ドレンを締めてオイルを入れて。
はい!おしまい。(このキックカバーはオイル注入口の下までが規定量)


と行きたいところなんですが・・・・

しばらくするとオイルの量がみるみる減って行ってしまうんです。

「俺とした事が、ドレンの締め方が甘かったか」と力いっぱいドレンを締めてはいけません。


写真は、ショベルのミッションのキックカバーを外した所です。

この奥にギアが居るのですが、部屋が別室になっております。まさに"家庭内別居状態"


実は良く見ると右下の方に小さな穴が空いております。
もしも家庭内別居なら、ここから御飯だけスッと出て来るのでしょうけど・・・

話を元に戻します。
ミッションオイルはキックカバーから入れます。んで、隣のギアが入っている部屋に行くまでにこの小さな穴からゆっくり行くので、最初の2枚の写真の様に、オイルを入れてしばらく放っておくとオイルが減った様に見えるという現象が起きるのです。

なので、入れては放置プレー。入れては放置プレー。を4~5回繰り返して初めて規定量になるのです。

良くキックカバー内の(クラッチプッシュロッドを押している)スローアウトベアリングが破損すると効きますが、(当店でメンテしている車両は起きた覚えがないですが)そこが良く破損する車両はもしかしたらオイルがちゃんと入っていないのかも知れませんよ。(他にもノウハウがあるのですが・・・)


これは、よくある社外のキックカバーです。

棒で指してる部分のメクラを外してオイルが出てきたら蓋を締めるという方法を取っている方は要注意です。
どう考えても(締めた後、減るので)規定量入りません。

注入口からマグライトで覘きながら何回かに分けて入れて下さい。

ここしばらく雑誌等のメンテナンスの指南書を見ていないですが、過去に見た限りこの事について触れている者は皆無でした。
残念ながら・・・

ハーレーやアメ車のトラブルは大半が"人災"だと思います。自分でやる人も、そうでない人も正しいメンテナンスを心がけましょー。

そろそろ本気出します


エアコンの暖房を普段使っていますが、無意味に石油ストーブを付けてしまう今日この頃です。

パーフェクションのストーブもリペイントしていい感じになりました。ガラス越しの炎がほっこりいたします。

実は、年始から約半月も風邪で調子が悪かったので、(一応フル出勤でしたが)思うように作業が進みませんでした↓↓

もう完調なので、ほっこりしてないでバリバリやりますぜ!(今からかいっ!ってツッこまれそうデス↓↓スミマセン)

ずっと咳が出まくりで調子悪いと、この曲がちらついてループしちゃいます。

ps.最近訳解からん繰り返しの曲がヒットチャートの上位にいますが、別枠でやって欲しい物です。
こっちはアーティストとちゃんと呼んでいい方のミュージシャンですね。

psその2.汚染コンクリ・・・特命リサーチより
20数年前に台湾でこんな事がありましたよ。

明けましておめでとうございます

新年早々、変化球の効いたブログになります。

新カテゴリーとして「古き日本を愛でる(めでる)会」てのを、たま~にバイク関連の記事に挟みますが、まぁ趣味程度の物ですので、テキトーに見てやって下さい。


一発目は皆さんご存じ、聖徳太子の巻

聖徳太子と言えば、遣隋使(中国へ今で言う留学生を送り、日本の政治、文化の発展を高めた)を送ったり、10人の言葉を同時に聞き分けた(これは本来は違う)って話が有名ですが、「十七条憲法」について面白い話があるので簡単にお話しようと思います。

今の政治に不満のある方には、見比べれば特に面白い話かと思います。

「憲法十七条」の第一条の冒頭に出てくる「和をもって貴し(とうとし)となす」という言葉があります。

日本人特有の、とにかくカドを立てないとか、空気を読むとか、長い物には巻かれろといった、仲良く平和にやりましょう。といった意味でとらえられているのが一般的だという。

しかしながら、実は聖徳太子が言いたかったのは(その後に続く文や条項を見れば)まったく逆の事が言いたかったと言っても良いぐらいなのです。

その真意とは

「人はどうしても派閥や党派などを作りやすい。
そうなると偏った、かたくなな見方にこだわって、他と対立を深める結果になる。
そのことを戒めているのだ。
それを避けて、人々が互いに和らぎ睦まじく話し合いができれば、そこで得た合意は、おのづから道理にかない、何でも成しとげられる」というのだ。

今で言えば、自民も、民主も、右派も、左派も、日も、米も関係無く、正味で話合えばおのずと正しい道へと進んで行くという事。

で、第十条から見ると

「人が自分の意見と違うからといって、怒ってはならない。人にはみな心があり、心があればそれぞれ正しいと思う考えがある。…自分は聖人ではなく、相手が愚人でもない。共に凡人なのである。それゆえ相手が怒ったら、自分を見つめ直して自分の過失を考え直しなさい」

要は「他人からは矛盾に見えても、人はだれもが自分の中の正論という考えの中で生きている」と言えます。自分が絶対に正しいと思いこむのはイケマセンよって事。

んで、十五条ではこう言っている。

「個人の利益に背いて、公共利益のために尽くすのが臣下たる者の勤めだ。
自分の事ばかり考えてばかりいては、必ず他に恨みの感情が生まれる。
恨みがあれば心からの協調ができない。協調ができなければ結局、私的な事情で公務の遂行を妨げることになる。…」

今で言えば、大臣を勝手に決めては(対立派に)降ろされて、私的に近い法案が出てはもめて、と結局肝心な事が3歩進んで2歩以上戻って結果、国の前進につながって無い事を指摘している。

最後の十七条では

「重大なことがらは独りで決定してはならない。
必ず多くの人々とともに議論すべきである。…(重大なことがらは)多くの人々と共に論じ、是非を検討してゆくならば、その結論は道理にかなうものになろう」

ドジョーも管も勝手に決めやがりますがね・・・


簡単にまとめたつもりでしたが、解りましたでしょうか?

なんせ、今の政治家は聖徳太子のリーダーシップを見習って、十七条憲法を勉強し直して下さいって思います。

ちなみに冠位十二階はそれまでの、血族や身分の上下で役人を決めず、その分野の能力に長けた物を役人にする身分制度ですが、これも聖徳太子の行った事でした。

ずごいね!

Home > Archives > 2012年01月

Search
Feeds

Page Top